2013年御翼12月号その1

逆説の十ヵ条

「Anyway―それでもなお、人を愛しなさい」という題で知られている詞がある
(原題は、逆説的戒律―Paradox for Commandments)。ケント・キース『それでもなお、人を愛しなさい』(早川書房)

  1. 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。それでもなお、人を愛しなさい。
    People are illogical, unreasonable, and self-centered. Love them anyway.
  2. 何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。それでもなお、良いことをしなさい。
    If you do good, people will accuse you of selfish ulterior motives. Do good anyway.
  3. 成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。それでもなお、成功しなさい。
    If you are successful, you will win false friends and true enemies. Succeed anyway.
  4. 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。それでもなお、良いことをしなさい。
    The good you do today will be forgotten tomorrow. Do good anyway.
  5. 正直で率直なあり方はあなたを無防備にするだろう。それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。
    Honesty and frankness make you vulnerable. Be honest and frank anyway.
  6. 最大の考えをもった最も大きな男女は、最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落されるかもしれない。それでもなお、大きな考えをもちなさい。
    The biggest men and women with the biggest ideas can be shot down by the smallest men and women with the smallest minds. Think big anyway.
  7. 人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない。それでもなお、弱者のために戦いなさい。
    People favor underdogs but follow only top dogs. Fight for a few underdogs anyway.
  8. 何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。それでもなお、築きあげなさい。
    What you spend years building may be destroyed overnight. Build anyway.
  9. 人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。それでもなお、人を助けなさい。
    People really need help but may attack you if you do help them. Help people anyway.
  10. 世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。
    Give the world the best you have and you'll get kicked in the teeth. Give the world the best you have anyway.

クリスチャンのケント・キース博士(ハワイ州政府の閣僚、弁護士、大学の学長)がこれを書いたのは、一九六八年、彼が十九歳(ハーバード大学二年生)の時だった。大学のキャンパスは学生運動で混沌としていたが、一方では理想に燃え、希望を抱いている学生たちもいた。そこでキース氏は、世の中をより良くしようと行動を開始した善良な学生たちが、あきらめて挫折してしまうことがないようにと、この詩を書いたのだ。一番伝えたかったのは、正しくて良いことを行えば、人生に意味が与えられ、意味さえ見出せれば、栄光など必要ではない、ということであった。 キース博士は、こう語りかける。「評価されたいという願望をもつのは当然です。しかし、他人の拍手喝采を切望すると、意味を見つけることは難しくなります。拍手喝采を切望する人は、他人が必要としているものに心の焦点を合わせる代わりに、拍手喝采を得ることに心の焦点を合わせてしまいます。それだけではありません。人は時として拍手喝采することを忘れるものです。従って、拍手喝采を切望する人は、自分の幸せを他人の気まぐれな心の動きに委ねることになります。これとは対照的に、他人に援助の手を差し伸べることによって得られる意味や満足感は常にあなたのものです。拍手喝采を受けるか受けないかとは無関係です」と。最後には神の真理が私たちを報いてくださるのだから、私たちは人生の挫折から解放される。 博士がこのような内容の詩を書こうと思ったきっかけは、自分が高校三年の終わりに学校で表彰されるときだった。自分では、それまで高校で達成したことや学んだ事、力になってあげた人たちのことを思うと、既に満足感を覚えており、表彰などしてもらう必要はないと感じていたという。「私はすでに報われていました。表彰されようとされまいと、充実感と満足感は私のものでした。正しいこと、良いこと、真実であることを実践すれば、その行動自体に価値があります。そのことに意味があり、栄光など必要ではないと悟ったのです」と、キース博士は当時を振り返る。そして、実際に詩を書いたのは、キリストの受難週の金曜日であった。キリストは人々からあざけられ、鞭打たれ、十字架上で苦しまれて死なれた。それでも主は人を愛し、赦し、救ってくださった。それを知ったとき、私たちも日々の生活の中で、この世が私たちをどう扱おうと、信仰を実践し、神と人とを愛し、正しい行いを続けることができるのだ。

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